私は、とっても親不孝をして生きてきたんです…。
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親不孝な私_2

私と母の歴史

親不孝な私_1に続く、運営者の私の親不孝エピソードです。
本当に、ここには書ききれないほど、母を傷つけ、悲しませ、不安に陥れてきました。
それも、10年以上にわたって毎日。
これ以上は、親不孝自慢になりそうなのでやめておきます。
お母さん、本当にごめんなさい。

狂言自殺に深夜の呼び出し

私は、高校を中退後、大検(現在の高等学校卒業程度認定試験)をとって大学受験にチャレンジしました。
母の献身的な支えがあり、無事合格することができました。
大学入学後は、実家から高速道路を走って3時間以上かかるところに一人暮らしをしました。
今考えれば無謀なことをしたのですが、当時は、私の摂食障害への突破口にしたい、改善に結び付けたいという思いからでした。 
しかし、もちろん摂食障害は治っていませんので、一人暮らしは成り立ちませんでした。
過食をしてしまい、パニックになり、母へ電話。
「もう死んでやる!」と泣き叫び、電話を切る。
母はもちろん、心配でたまらなかったでしょう。
すぐに車でかけつけてくれていました。
母も、仕事をしています。翌日も早朝から仕事です。
私からの電話がどれほど深夜であっても、そこから車に飛び乗り、3時間以上夜道を走って私のもとに来てくれました。
その時、ハンドルを握っていた当時の母の気持ちを思うと、今でも私は胸が張り裂けそうです。 

そんなことを、大学在学中は何度も何度も繰り返しました。
多い時で、月に5〜6回も。
本当に、本当に、母と私は壮絶な日々を繰り広げていた記憶があります。

お金のこと

高校を中退したこと。
過食ばかりしたこと。
痩せるためエステに通わせてもらったこと。
大学で無謀な一人暮らしをしたこと。
その他、ここでは言いたくないような、お金ばかりかかることも、たくさんやってしまいました。

母は、自分一人で子ども3人を育てました。
その中でも、私にかかったお金がどれほど負担だったことだろうと思います。
母は、3人の子供を養うために、日中の仕事に加えて夜も働きに出て、週末も別の仕事をしているときがありました。
母が苦労して苦労して得たお金を、摂食障害だった私は痩せることや過食に費やしてしまったのです。

本当に、申し訳なさ過ぎて、頭が上がりません。

「死にたい。」「どうして産んだの?」
「どうしてこんな顔に産んだの?」

私の親不孝の極みは、これです。
「死にたい」
「どうして生んだの!?」
「どうしてこんな顔に産んだの!?」
「生まれてこなきゃよかった!」
「私は失敗作なんだ!」
今まで何度、これら最低の言葉を母に投げかけたのでしょうか。
本当に、数えきれないほどです。
親として、子にこんなことを言われ、自殺未遂をされることが、どれほど辛いことなのか、私はきっと10分の1も理解できていないかもしれません。
それでも、母の気持ちを考えると、本当に胸がはちきれそうで、いてもたってもいられない気持ちになります。
母は、私が摂食障害になったことを、自分のせいだと思っています。
私がそう仕向けたのかもしれません。
母は、とことん自分を責め続けることになってしまいました。
「私がもっと強かったら。あの時あぁしていたら…。」と、口に出すこともありました。
病気ゆえの行為や発言だった…と、今の母は思ってくれている(はず)なのが、唯一の救いではあります。
摂食障害が完治に向かっている今は、産んでくれたことへの感謝の気持ちでいっぱいです。 



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